すごく遠い親戚だが、一応従姉妹に当たる三歳年上の爽歌のことを、ボクは親しみを込めて「うたねぇ」と呼んでいた。(イナカでは当たり前なのだが)すごい美人なのにバリバリのヤンキーだった歌姉だが、不思議と周りの評判は良くて、近所のオヤジ達のアイドルだった。同級生や後輩達からの人気も高くて、姉弟でも無いのにボクは鼻が高かった記憶がある。お互い一人っ子ということもあってか、ホントの姉弟みたいに育った関係もあるかもしれない。 歌姉は高校を卒業すると、東京の何とかいう短大に進学した。負けず嫌いの彼女は、学校の成績もかなり良かったようだが、試験前はいつも目を赤くしていた。「そんなにムリしなくていいのに…。」ずっと後になってからホントの事を知ることになったのだが、赤い目をした歌姉は「違うのっ!」って、笑ってるような怒ってるような口調で、ボクの忠告にいつもそういうふうに答えていた。 三年後、地元の大学に落ちたボクは、一年浪人する事にした。 ボクは予備校の夏期講習のため、一ヶ月ほど東京の歌姉の部屋にいた。とっくに短大を卒業しているはずの歌姉は、遊びに行く以外は一日中家でコンピュータと向き合っていた。今で言えばSOHOってヤツだが、当時は「何か怪しげな仕事ではないのか?」と疑惑の目を向けていた。「そんなにムリしなくていいのに…。」何年か振りで、そしてちょっと違う意味を込めながらそのセリフを彼女に向けると、「違うのっ!」っておんなじ口調で、そしてやっぱり目を赤くしながら答えた。 次の年の1月末に今度は受験のため来るよ、って上野駅まで見送りに来た歌姉に告げて、ボクは実家に帰った。 「明日は朝から一日中付き合ってもらうわよ。今夜は勉強なんかしてないでさっさと寝ちゃってちょうだい!」受験生には酷な要求をされたのは2月のある日、受験のために再び滞在していた歌姉の部屋での事だった。渋々…まぁたまには気晴らしも必要か、と思ったボクは、言われた通りにさっさとベッドに入ることにした。次の日電車で向かったその「付き合ってもらう」場所は、競馬場だった。 「なんだ、別に二人で来ること無いじゃん。」遠慮がちに歌姉を責めると、「後で言うわ、理由は。」とちょっと赤い目をしながら答えた。いいか、競馬場って初めてだしなんか楽しそうだし、自分のフトコロが痛むわけでも無し。「好きに使っていいわよぉ。」語尾を上げながらそう言った歌姉から、なんとニマンエンも貰ったボクは、馬のことなんか全然知らないから、名前とか第一印象とか(今も変わんないけど)そんなんで馬券を買っていた。一方歌姉はというと、馬券を買うことも無くずーっとレースを見続けていた。ゴハンは食べたが。 「さ、行くわよ。」唐突に立ち上がった歌姉は、ボクの手を引っ張って馬券売場の前に来ると、「あなた今からこのお金を持って、売場のオバサンにメイセイオペラ下さいって言いなさい。」厳かに宣言した。そして割と厚い札束をボクに手渡した。「ちょ、ちょっと20万もあるよ?!ダメだってこんなの。どうしてもって言うなら、自分で行って来てよ、ヤダよオレ…。」真っ赤な目をした歌姉はじっとボクを見つめていた。いや見つめてたなんてもんじゃない、睨みつけていた。多分ほんの1〜2分だっただろうが、凄く長い時間が経ったような気がした。もう知らない、ボクは言われた通りメイセイオペラ単勝20万を買った。 競馬場のスタンドで若い男女が抱き合っているのである。きっと周りの人は好奇の目で僕たちを見ているハズだろうけど、もうボクには歌姉の体温が世界の全てだった。「あたしが赤い目をするのはね、何かアツくなる事してる時よ。あんたはよく無理するな、なんて言ってたけど、あたしはもうドキドキして楽しくて怖くて気持ち良くて吐きそうで堪まんなかったわ。そうそう、20万は今月の生活費全てよ。メイセイオペラが負けたらあたしもあなたも餓死ね。試験受けれなくなっていい気味だわ。」ファンファーレをバックに、彼女はボクの耳にそう語った。「怖いからレース終わるまであたしの事抱いてて。」何言ってんだ、何かに掴まってないと倒れそうなのはこっちの方だよ……。 !!! そこから次の日の朝までは、短い人生だけどやっぱり人生で一番濃密な時間だった。ボク達を祝福するかのような馬券の吹雪を、しかしながら呆然と見つめていた二人はやっと我に返ると、地に足が着かないとはこのことか、というような怪しげな足取りで払い戻し受けた、と、思う。そしてその場からすぐに何とかいう名前のホテルのスウィートルームを予約して何とかいう名前のヘアサロンを予約するとすぐに何とかいう名前の洋服屋さんに行ってスゴイ服を買ってその場で着替えて予約してたサロンで髪をセットしてもらい、気付いたらスウィートルームで何とかいう名前の高そうなシャンパンを飲んでた。ルームサービスをこれでもか、っていうくらい頼みまくりながら二人でずっと話してた。次の日は受験日だったが、もうボクも歌姉も怖いもの知らずになってて、そんな事どうでも良くなってた。世界はボク達の物だった。 朝、目が覚めると、ボクと歌姉は裸で同じベッドに入っていた。部屋の様子を見渡してみると(まぁぶっちゃけた話ゴミ箱だが)、どうやら何かあったらしい。けど何にも覚えていない。遅れて目を覚ました歌姉も言葉を失っていた。「あれ?目が赤いよ。まだアツいの?」場を取り繕うようにボクが言うと、やっと笑顔を取り戻して「アツかったのはアンタの方でしょ!」っていいながら、軽くキスして、シャワールームに消えて行った。「いいのかなぁ、やっぱり一応ねぇ…。」声にならない呟きをボクは発した、ような気がした。 チェックアウトを済ますと、ボク達の手許には9,800円ほど残った。「よ…4桁…?」気丈にホテルの入り口を出た歌姉だったが、外に出るとボクの肩に倒れ込んで来た。「残りの金で酒買って家で飲み直すわよ!」ジャスト1分で立ち直った彼女は、そのままコンビニへ入って行った。ボクが覚えたての言葉を使いながら、「いいなぁSOHOって。」って言うと、「そう、あたしは朝から酒を飲むために仕事してるのよ。」だって。まだ酔ってるな、ヤツは。 「そうだ、聞くの忘れてた。どうしてメイセイオペラ買ったの?やっぱりファンなの?」 2月の最後の日曜日、家に帰る日を迎えたボクは、上野駅まで送ってきた歌姉にそう聞いてみた。「あら、あたしの名前知ってるでしょ?メイセイオペラって私の名前に似てるじゃない。」 言い忘れたが、彼女の名前は「そよか」と読む。
爽やかな歌のようにターフを駆け抜けた、 そのサラブレットの名前は、 メイセイオペラ 岩手の伝説。 |